毒親と幸福

はじめに

このページは、PaToCaを通して「毒親から変わりたい」と願う人が、苦しい思いをしてまで変わる価値がどこにあるのか、幸福とは何かについて考えていきます。

関連情報

PaToCaは、モラハラ・DV加害者のためのコミュニティGADHAから派生しています。加害とは何か、ケアとは何かといった理論の中心的な概念はGADHAのサイトでも詳細が記述されています。ぜひGADHAの理論ページもご覧ください。また、「よくある質問」や関連する書籍などはPaToCaの理論ページから見られますのでぜひそちらもご覧ください。

毒親の変容の価値

前回の記事で「毒親は変われるのか」について考えてきました。そこでの結論は「毒は連鎖するが、それを止めることはできる」というものです。人は学び変われます。それは、さまざまな事例から明らかです。「毒親が変わることの価値」についてここでは述べたいと思います。

それは、子どもに対して「人は学び変わることができると信じられる経験」を贈ることができる、ということです。

人は誰でも間違いを犯します。神ではなく、不完全であり、失敗したり、人を傷つけることもあります。だからこそ、学び変わっていくことこそが大切です。

しかし、毒親は、「学び変わらない」ことによって子どもを深く傷つけます。そして「人はどうせ変わらない」「そして自分も変われない」「だってあいつの子供だから」という絶望を、二重三重の苦しみを与えます。

でも、どんなときも遅すぎるということはありません。子供が20歳になっても、30歳になっても、50歳になってさえ、毒親の変容と謝罪は深いレベルで変化をもたらします。「人は学び変わることができるのかもしれない」という人間への信頼を取り戻すきっかけになるかもしれず、それは「じゃあ自分も変わっていけるのかもしれない」と思う勇気につながるからです。

「人は学び変わるかもしれない」と思うことは、大変な勇気を必要とします。なぜなら、そう期待して、報われなければ、深く傷つくからです。それなら最初から信じない方がずっと簡単だし、楽なのです。

毒親という言葉を知り、色々調べ、子どもからの言葉を受け、自分がやってしまった加害の重さに、希死念慮すら湧いてくる人がいるかもしれません。そんなときでさえ、加害者変容こそが、できる最大の償いであり、決して遅すぎることのない贈り物だと考えることができると、生きている意味、あるいは責任を見出すことができるかもしれません。

毒は連鎖します。しかし、それを止めることもできます。そして、止めることが、次の世代に希望を手渡すことになります。遅すぎるということは決してありません。

関われない距離になったとしても

しかし、人によっては「もう子どもから完全に関係を切られていて、連絡もつかない。自分が変わったって、今さらどうしようもないのではないか」ということもあるでしょう。

それでなくても加害者変容は辛いのに、それによって被害者に直接償うこともできないという状況においては、いっそ変わらない方がマシではないかと思うかもしれません。

自分の罪を認め、学び変わろうとすることは大変な勇気を必要とすることだし、自分の中にあった正しさや、幸福といったものを手放す必要があることも多いからです。

しかし、僕は「仮に、子どもともう関わることができなくても、同時並行の変容は重要である」と考えています。そこには2つの理由があります。

1つは、それが結局、毒親と呼ばれた人にとっても、幸せにつながる道だからです。子どもに対して加害的な人は、友人関係においてもトラブルがあったり、職場の関係が終わったら途端に孤独になったり、パートナーとの関係もよくなかったり、特に親しい関係になる程、親密な関係を作るのが難しかったり、一度喧嘩したり距離が開くとそれを戻せないという人がたくさんいます。

毒親として子どもと関わってしまう人は「ケアの関わり」が苦手である可能性が高く、それゆえに自らを孤独にしてしまうのです(だからこそ、子供も離れていっているわけです)。この辺りは拙著「孤独になることば 人と生きることば」などもヒントになるかもしれません。

そのため、加害者変容は、究極のところ、お子さんのために行うだけではなくて、なによりも自分自身を幸せにするためのことだと言えます。誰のためでもなく、自分自身のために、自分にも他人にもケアができる人になり、ケアを交換できる関係の多い人生を生きることは幸福(だと僕は考えています)です。

そしてもう1つの理由は、人と人はつながっているからです。暴力と同様、ケアもまた連鎖し波及していくからです。自分と相手は直接つながったり関係を持てなくても、さまざまな人を介して、そのケアの気持ちや、優しさ、人を信じても大丈夫かもしれないと思える世界への安心や信頼といったものは、巡り巡って、いつか自分が傷つけた人たちに届くかもしれないからです。

直接相手のために何もできないという場面であってさえ、人にはできることがあります。それは、一緒に生きている人たち、関わっている人たちに対してケアを始めていくことです。そのケアが、次のケアを生み、また他の人へ…と広がっていくイメージです。

その波の最初の流れに、自らがなることができる。そう信じ、そのためにこそ自らをケアし、大切にすること。それがいつか自分の子どもに、その子が共に生きている人、関わっている人たちに届くと信じて、生きていくことができるはずです。

終わりに

PaToCaは「変わりたい」と願う毒親のための学びのコミュニティです。毒親であることを認め、学び変わることは大変なことです。知識だけではなく、愚痴をこぼしたり、弱音を吐いたりする仲間が必要です。

ぜひ、PaToCaの理論ページを参考に学びを深めながら、PaToCaの活動ページにあるコミュニティやイベントに参加することで、変容を共に進めていきましょう。