『教室マルトリートメント』

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おすすめポイント

本書はi.教室マルトリートメントを「教室内で行われる指導のうち、体罰やハラスメントのような違法行為として認識されたものではないけれども、日常的によく見かけがちで、子どもたちの心を知らず知らずのうちに傷つけているような「適切ではない指導」と整理している。

筆者はその例として

・事情を踏まえない頭ごなしの叱責

・萎縮させるほどの威圧的・高圧的態度

・褒めるべき時に褒めない

・舐められないように笑顔を見せない

などを挙げている。

また、33.毒語とは筆者の言葉で「子どもの発達を阻害するネガティブ要素をもった言葉の意」として、以下のようなものを例として挙げる。

・質問形式で問い詰める

・本当の意図を語らずに裏を読ませる

・脅しで動かそうとする

・虎の威を借る

・下学年の子と比較する

・指導者側に責任がないことを強調する

・見捨てる

本書は、叩くことなどが時代によって体罰としてゆるされていた時代を例にしたり、虐待という言葉が強すぎてかえって当事者意識を持たせづらいことから、マルトリートメントという言葉を用い、罰や脅しの副作用について整理している(こちらの『<叱る依存>がとまらない』も参照のこと)。

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そして、特に共感するのは261. マルトリートメントの対義語は、それをしないことではなく「良質な関係性を築くこと」という。僕もそのように思う。GADHAやPaToCaでは加害を「ケアの欠如した関わり」と定義し、加害を止めることは自他にケアを始めることに他ならないと考える。

自分も対象に含まれるのは、加害者は加害をしようとしているのではなくて、多くの場合「ケア」がよくわからなかったり、それをする余裕がなくなっているからだ。自分を慈しむ、自分を大切にする、その先に初めて周りを大切にすることを始められる。

でも、自分を慈しむってなんだろう。自分を大切にするってなんだろう。そう考えてみると、「そもそも、どんなことに傷ついていいのか」「自分は傷ついてきたのか」を考える必要がある。そうすると、子どもとの関係を考えていたはずが、実は自分のことから始める必要があることに気づける。

教室マルトリートメントも、やっている先生自身が、されて育ってきたから、他のやり方を知らないという側面もあるはずだ。職場のハラスメントが、連鎖しているのと同じように。加害は連鎖する。でも、それに気づいて、学び変わることで、連鎖を止めることはできる。

その連鎖を止める一番最初は、自分自身の傷つきを認め、それを慈しむこと。遠回りのように見えて、結局そこから始まるのだと思う。同時に、自分の今の加害性にも目を向ける必要がある。そんなときに、PaToCaのような「同じ悩みを抱えた人の集まり」は役に立つと信じている。

書誌情報

 

「変わりたい」と願う毒親のためのコミュニティPaToCaの理論を学ぶにはこちらのページをご覧ください。