やりすぎ教育 商品化する子どもたち

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おすすめポイント1

筆者は「教育虐待」は親や先生といった個人に責任を帰するものとなってしまうことから、その言葉を使わない。代わりに、エデュケーショナル・マルトリートメントという言葉を使い、その意味を47.「子どもたちが自分の生きる世界を理解し把握するために学びたいという、真の人としての成長発達のニーズではなく、大人の将来への不安や欲望から強制的に学ばされる状態」とし、親の教育虐待だけでなく、社会の歪んだ教育観による不適切な行為を指す。

具体的には、以下のように広く「大人から子どもへのマルトリートメント」を整理し、その中にエデュケーショナルマルトリートメントを位置付けている(p.59)。

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本書は、個人にのみ原因を見出すのではなく、むしろこの社会の教育観が歪んでいることを問題の構造として重視する。以下の文章は、その問題意識を端的に示している。

8. 「子育てが、子を計画的に作り(授かるではなく)、育て(育つのではなく)、育ったら市場に出すという、まるでブロイラーの養鶏のような状態になっている今、何が私たちに起きていて、これからどうなっていくのか、どうしたらいいのか。親だけのせいではないのに、誰かのせいではないのに、うまくいかないこの状況の中で、特効薬はなくとも、私たちに今からできることは何かを考えていきたいと思います。」

おすすめポイント2

実際、個人の問題とされてしまうことによって隠されてしまう問題はさまざまに存在する。不登校や引きこもりに対応する心理系の専門職に言及し、

「学校教育のあり方や受験・評価のシステムや大人の持つ価値観の問い直しが、カウンセリングの立場から明確に提言されることはほとんどありませんでした。特に不登校や引きこもり、近年話題になっている自己肯定感の低さは、子どもの問題というよりはむしろ子どもを取り巻く養育環境や教育の根底にある価値観の問題なのですが、そこにメスが入れられることはなかったのです。」(p.85)

としたり、89.「心の問題や発達の障害であると言われていることが、実はその子どもの問題というよりも「環境調整」で改善する問題である場合があるということです。カウンセラーたちは話を聴くトレーニングを受けてはいても、必ずしも環境調整の技法は学んでいません。カウンセラー自身の価値観が現在の日本の状況から自由でないと、話は閉じてしまって解決の方向には向かわないし、現象や症状を抑えることに気が向いて、子どもが育つプロセスで子どもの心と現実とのズレやマルトリートメントが起きていることに気づくことができないのです。」

子どもたちの問題に見えていることが、実は単に環境との関係性の問題であることは多々あると述べる。この抑圧的な、個人に問題を見出す社会では、「やりすぎ教育」に歯止めをかけることが難しい。それでも、現場の声を上げていくことなしには決してこの社会自体は変わっていかない。

おすすめポイント3

また、親も決して「傷つけてやろう」などとは思っておらず、本書では65. 子ども想いの大人たちが商品化というマルトリートメントを継続する理由として、以下を挙げる。

1.将来への生活不安と大人の責任の呪縛

2.生涯発達の観点の不在

3.個人に帰する能力観

4.即戦力社会の弊害

5.子どもの人権に対する無知

6.停滞や失敗を無駄と考える価値観

7.女性差別と代理競争

8.時代の変化についていけない学校教育

9.臨床心理学や精神医学による問題提起の不在

10.社会構造へのアプローチの必要性の認識不足

ここでは詳細に書かないけれども、どれもが個々人の価値観ということ以上に、社会全体に広がる価値観や思考、それに基づく制度や文化が個人(ここでは親に)内面化されることを通して、子どもの「商品化」が進むことを示している。

そして44. 「子どもに教育投資するため、親は団らんの時間を減らして共働きし、教育ローンを組み、最終的にはその成果を、成人後に「優れた子を育てた親」というラベルを得ることで回収しようとすることにもなります。」という悪循環が見えてくる。

おすすめポイント4

ミクロなレベルで言えば、この「やりすぎ教育」による子どもの被害を防ぐには、社会の支配的な価値観を、そのまま飲み込んで「優れた商品としての子ども」を育てたいという親の欲望に自覚的になり、子どもを人間とみなしてその発達を願うような関わりを始めていくことだろう。

実際、GADHAではたくさんの「上昇志向を植え付けられて必死に頑張ってきた人」が、結果としてパートナーや子どもに加害的に関わり、孤独へと向かっていくケースがたくさんみられる。「優れた商品」といっても、一体どのような観点で「優れた」とみなすのか。人としての成長において何が大切なのか、考える必要がある。

それは人間とは何か、幸福とは何か、といった問いを真剣に問い直すことであり、社会にある価値観をそのまま受け入れることとは全く異なることだと言える。

そして、メゾ・マクロなレベルにおいては、このような支配的な価値観を変えていけるような現場レベルでの活動や、声を上げていくこと、そういった政治家への投票などの社会的・政治的活動を含む。

それは「社会はこういうものだ」とある種諦めさせられている大人、子どもを商品化してしまおうとする大人にとって、権威の中でうまくやろうとする大人にとって、最も難しいことかもしれない。

しかし、大人が学び変わっていくことなしに、子どもが生きやすい社会を微力ながらでも作っていこうとすることなしに、子どもに「良い大人になってほしい」と考えること自体が、実は矛盾しているのだろう。

個人の問題ではなく社会の問題である。そしてだからこそ、社会を変えていくための個人のアクションが重要であり、それが可能なのは子どもではなく、その子どもたちの未来を考える大人だ。僕は、大人が学び変わることは可能だと信じているし、どんなに小さなアクションからでも、社会を生きやすくしていくことはできると信じている。

だからこそ、パートナー関係におけるモラハラ・DV加害者のためのGADHA、職場でのハラスメントなどの加害者のためのCoNeCa、そして変わりたいと願う毒親のためのPaToCaといった学びの場を作っている。

小さなアクションとは例えば、目の前の子どもの痛みやニーズに敏感になること。自分が「正しい」「当然」「良かれと思って」と思っている価値観を問い直すこと。そういったことから始まるはずだ。

終わりに

書誌情報

「変わりたい」と願う毒親のためのコミュニティPaToCaの理論を学ぶにはこちらのページをご覧ください。